第14回 対談「尾木直樹✖️木村泰子」に参加して
2018年7月3日公開
青山で開催された「木村泰子×尾木ママ」対談に参加しました。
木村泰子さんをご存知ですか?
『みんなの学校』のモデル「大空小学校」の元校長です。
対談のテーマは、「日本の公教育を考える」
公立の学校で、ここまでできる!というお話でした。
対談は「挨拶運動」からスタート。全国津々浦々で行われている運動ですが、挨拶って大事なこと、何か問題があるのでしょうか?
尾木ママ曰く「挨拶すると子どもが見えなくなる」??どういう意味?
「元気な声で挨拶をすること」と決めてしまうと、子どもの自然な姿を見られなくなる。自殺した子どもの通う小学校校長が「晴天の霹靂です」とコメント。
朝、校門で元気に挨拶して、教室に走っていったので(信じられない)とのこと。
もし挨拶運動がなければ、「アレッ?今日は声が小さいな~」「いつも挨拶する子どもが挨拶しないけど、どうしたのかな?」と感じる「教師と子どもの関係」を断ち切ることになる。
挨拶運動が進化すると、3秒以内に返事を返すというルールも。形骸化が進む。
浦安の小・中学校ではどうでしょうか?
大空小学校で進めた断捨離・・・何を捨てたと思いますか?
それは・・・学習参観日。
子どもたち曰く「先生は普段言わないことを言う」「先生、いつもの服とちがう!」
良い学校だと安心して帰る。見せるために子どもは手段になる。見せたくないものは排除することに。それで、「見せる行事」を一切やめたそうです。
1958年に始まった道徳教育。今春2018年に始まった道徳教科化、どこが違うのか?
評価=成績をつけるようになったこと。これは大変なことのようです。
たとえば、道徳の教科書に載っている「お辞儀の仕方」①②③のうち正解は?
① 挨拶した後、お辞儀をする。
② 挨拶とお辞儀を同時にする。
③ お辞儀をしてから挨拶する。
正解は①「語先後礼」=言葉は先に、礼は後で。教師は子どもが理解して実行できているかチェックする。子どもは教師の前で取り繕うようになる。子ども自身が自己嫌悪を感じることも。
「いじめをなくすため」と始まった道徳の「教科化」だが、いじめを増やすことにならないか?
道徳の教科書の紹介として2件。その①「かぼちゃの蔓(つる)」
どんどん蔓を伸ばすと切られてしまう。教訓としては「わがままはいけない」
その②「星野くんの2塁打」監督の指示はバントだったが、これはいける!と思う球が来たので、思いっきり振ったら2塁打に。そのおかげでチームは勝利。さて、どうなったか? 監督に叱られ、試合に出られなくなった。
あなたなら、どうしますか?監督の指示、自分の判断、どちらを優先させますか?
ラグビーの監督やコーチの命令に従って暴力事件に至った日大の話も。
木村先生曰く「大空小学校では月曜の朝礼の時間に全校道徳やってます」
きっかけは、駅のホームでの出来事。老人が倒れて、必死に声をかけていた。それを見ながら何もしない若者たちの姿に衝撃をうけ、月曜の朝礼の時間に子どもたちに話したことから始まる。今も大空小で続いている。
今年、全校道徳はダメ!教室指導に変えるように「指導」されたが、これまで通り続けているそうです。
☆教育委員会からの指導を断ることができるの?!
学びはどこにあるのか?
教師が正解を持っていて子どもに問うのではなく、「正解のない問いを問い続ける」
朝の全校道徳の時間には、大人(教師+地域住民)もグループで話し合い、突然出されたテーマに教師が自らの意見を表明する姿を子どもたちに見せる。教室とは違う教師の姿を見ることができる。そこに学びがある。
大空小学校では毎年6年生がリーダーになる。
そのリーダーの条件とは・・・
① 頼らない。(先生に、教師は教育委員会に頼らない)
② イヤでしんどい仕事は自分でやる。
③ 文句を意見に変える力をつける。(意見は主体的、未来につながる)
大人は子どものリーダー。大人にも上記の条件が必要。
目の前の大人が失敗してもやり直す姿を見せる。そこから子どもが学ぶ。
全ての子どもが安心して学べる学校にするには、どうすればよいか?
子どもから学ぶという態度。教師自身が学ぶ姿勢を見せることが大事。
どう教えるか?ではなく、子どもたちを納得させられるかが問題。
子どもだけでなく、親も、ここに参加している誰もが「文句を意見に変えて」発言していけば、学校が変わり、地域が変わり、日本の教育が変わっていくのではないか?という木村先生の言葉で対談終了。
子どもの学びについて語られた対談ですが、「文句を意見に変えよう」という言葉が強く心に残りました。
☆今、市役所玄関ロビーで教科書展示中。子どもたちが使う教科書を見てみませんか? 道徳の教科書を含め、展示された教科書の中から選択されます。
☆教育機会確保法については次回。忘れないうちに対談を♪