第6回 友人が11年勤めた小学校を辞めました。
2017年4月10日公開
最近一番驚いたニュースです。「3月末小学校教員を辞め、4月から保育園の保育士として働き始めました」とFacebookへの投稿で知りました。
彼女と初めて会ったのは、7年前!リヒテルズ直子さんの帰国講演会でした。斜め後ろの方から「これが3回目…」という声が聞こえてきます。アレッ?私と同じ!と振り返って顔を合わせたのが始まりでした。
直子さんが帰国すると日本各地で講演会が開催されます。北は北海道から南は
福岡や熊本まで。関東でも各地で。その時は、柏や船橋、世田谷、都内の大学等々で。「追っかけ」と称して、会場をはしごしていた私、「あ〜仲間がいた!」と嬉しくなって話しかけると・・・川を挟んで隣町、江戸川区の小学校の先生でした。学校帰りに待ち合わせて、イエナカフェを開くことに決めました。
彼女は結婚したばかり、やがて出産、赤ちゃん連れで当時東西線の浦安駅近くにあった市民活動センターに毎月通ってくれました。やがて第2子も生まれ、勤務校も住吉に変わりましたが、先生として全力投球。授業の見学にもお邪魔しました。学んでいたイエナプラン教育を自分のクラスで実践しようと頑張っていました。子どもたちに寄り添う、ゆとりのある先生という印象でした。
一昨年、1週間のオランダ研修ツアーに参加して、それまで以上に、イエナの研究に熱心になったような・・・そして、早くから、今年9月からの教員向け3ヶ月オランダ研修ツアーに参加を表明していました。
てっきり休職して参加するものとばかり思っていましたが、退職して参加するとのことのこと。休職が認められなかったので、やむなしとのこと。
あ〜〜残念!こんな熱心な先生の、もっと学びたいという思いに応えられないのでしょうか? でも、ここで都の教育行政を批判するつもりはありません。
どうして11年のキャリアを中断してまで、オランダに行くことにしたのか?
私の勝手な!想像を書いてみますね。
(1)今の教育への疑問?
「一斉画一授業」という「教壇から教師が生徒に知識を伝える」という伝統的なスタイルに、イエナプランに出会う前から疑問を持ち、「学び合い」を学びながら実践していました。「子ども同士で学ぶ」「子どもを見捨てない」を基本に、学校では少数派で難しい面もあったと思いますが、今の学校システムの中で挑戦していました。今回の休職NGで、暫く離れようと思った?
(2)自分のクラス内での実践の限界?
イエナプラン教育の柱の1つが「異年齢学級」です。3学年で1クラス、子ども同士が助け合って学ぶことが期待されています。役割が固定されず、誰もが教えたり教えられたりという環境で4歳〜12歳まで過ごす経験は大きいと思います。
自身の担当するクラスでも、サークル対話やグループ学習等は実践することができますが、最も大きな異年齢学級を実現できないことのもどかしさ?
(3)ワークライフバランスから?
巷ではブラック企業が取り沙汰されていますが、「学校もブラックよ!」と
教員の友人からよく聞く言葉です。部活動の見直しなど改革の兆しもあるようですが、「早朝から深夜まで忙しすぎて、肝心の授業準備をする時間がない」と随分昔から言われてきました。そういう教育界の現状を変えるためにワークシェアを生み出したオランダでの経験を今後の活動に生かすため?
(4)子どもと一緒にオランダの暮らしを経験したい!
小学生と保育園児、元気な二人の男の子を連れて行きます。3ヶ月というと慣れてきた頃に帰国しなくてはならない。不安もあるかもしれませんが、それ以上に得ることが沢山あると考えたのでは?
なんたって、ユニセフの調査で『子どもの幸福度世界一』のオランダです!
3ヶ月とは言え、とても貴重な経験になると考えたのかな?
(5) 夫も一緒に行けるのは今しかない?全くの想像ですが、ご主人の人生設計でも今しかない…という判断では?
あれこれ、勝手な想像を並べてしまいましたが、明日錦糸町で会うことになっています。目下の私の悩みは・・・私も一緒に行きたくなってしまったこと!